バイオ

ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) は、1963年にレコードデビューしたイギリスのロックバンド。1960年代から第一線で活動をし続ける数少ないバンドの一つであり「世界最高のロック・バンド」といわれる。略称ストーンズ。
現在も根強い人気があり、ステージでの演奏には定評がある。2007年現在もスポンサーのバックアップ等により大規模なツアーを行っている。
バンド名はシカゴブルースの巨匠、マディ・ウォーターズの“Rollin’ Stone”にちなんで、当時リーダーであったブライアン・ジョーンズが命名。
ローリング・ストーンズの音楽的ルーツは、黒人のブルースにある。デビュー曲の「カム・オン」はチャック・ベリーのカバーである。彼らがデビューした1960年代初期、アメリカにおいてはまだまだ黒人に対する差別が根強く、「ブルースのレコードジャケットには、黒人の顔写真を載せてはならない(黒人ミュージシャン本人の顔写真を含む)」という慣習のある州さえ多かった。こうした時代にイギリス出身の白人のグループでありながら、黒人の音楽であるブルースを心から尊敬し、影響を受け、黒人になりきって歌や演奏に表現しようとしたバンドがローリング・ストーンズである。その結果、現在では黒人ミュージシャンからも敬意を受ける数少ない白人のバンドとなった。
こうした点でローリング・ストーンズは、「白人なのに黒人のようにブルースを歌える」とされたエルビス・プレスリーや、さまざまなジャンルの音楽を取り入れたが、音楽的スタイルに関しては、アングロ・サクソン的な表現方法の枠にとどまったビートルズとは一線を画している(ここで言う「黒人的」あるいは「アングロ・サクソン的」とは、人種や民族の優劣とは全く関わりなく、音楽的フィーリングや表現方法の違いにすぎないことを念のため付記する)。ローリング・ストーンズの活躍は、黒人音楽にルーツをもつ、他の白人ミュージシャンが1960年代後半から1970年代初頭にかけて、米英などで多数登場するきっかけとなったともいえる。
ストーンズのサウンドの欠かせない特徴として、その独特のリズムがある。本来バンドであればドラムとベースの絡みが重要といわれているが、このストーンズは一味違う。そのリズムの核となるのは、チャーリー・ワッツのドラムス、キース・リチャーズが弾き出すリズム・ギターにある。この二人が絡むことで、その独特のリズムが生まれている。ギターがドラムと絡み合うことで、当然ベースも独特な演奏をしていて、サウンドの核となるキースのギター・ラインと、そのギターに絡もうとする他の楽器パートの隙間を、まるで縫い合わせていくように弾いていることに特徴がある。キースのギターが中心となってバンドの音を引っ張っていっていると言ってもいいそのサウンドは、まさに唯一無二である。しかし、残念ながら1993年にビル・ワイマンが脱退して以来、そのリズムが変わって、サポート・メンバーであるダリル・ジョーンズの弾くベースはより安定したものながらも、それに古くからのファンは「不満」があるようである。
ローリング・ストーンズは、さまざまな流行の音楽をも取り入れ、一部のメンバーの交替や、さまざまなアクシデントを乗り越えつつ成長し、デビュー40年周年を超えた21世紀に至ってもなお、ブルース(リズム・アンド・ブルース)ルーツのロックンロールという音楽で、第一線で現役を貫き通している。
ストーンズのデビューにあたっては、ビートルズの助言があった。すでにデビューしていたビートルズはリッチモンドのクローダディ・クラブでアマチュア時代のストーンズのステージを観ている。休憩時間に会話を交わし意気投合、その日ストーンズがステージを終えるのを待って朝まで音楽話をし、以来友人関係が続くことになる。
ビートルズはブライアン・エプスタインの下で宣伝係を担当していたアンドリュー・ルーグ・オールダムに「すごいグループがいるぞ」とストーンズをスカウトするように薦め、オールダムはストーンズのマネージャーになる。
オールダムはストーンズを売り出すに当たってビートルズとは逆の事をした。ビートルズのこぎれいさとは対照的にストーンズのメンバーは、衣装をあえて統一せず、一般人の普段着のような服をステージでも着ること、髪をきれいにカットせずに伸ばし放題にすることなど、その後のミュージシャン(とりわけロック)のスタイルに大きく影響を与えたとされる。1960年代初期、英国の学校では、ビートルズのマッシュルームカットは禁止されていた。しばらくしてローリング・ストーンズがデビューしてからは、マッシュルームカットは容認した学校が多かったが、それでもなお、ローリング・ストーンズを真似た髪型は一切禁止されたという。現在の感覚で当時のローリング・ストーンズの写真を見るとさほど奇抜には感じられないのだが、当時は、彼らのファッションは過激なものと認識されていたのである。また、数々の悪行を封印しクリーンなイメージをつけるようにしたビートルズに対し、してもいない悪行のデマを流し“ビートルズよりとんでもない奴が来た”と「対ビートルズ」の図式を作り上げる。そろいのスーツを着た初期ビートルズ=優等生という印象に対して、ラフなスタイルで長髪のストーンズ=不良というイメージを打ち出したわけだが、「ビートルズ=優等生、ストーンズ=不良」はお互いのマネージャーが宣伝の為に作り上げたイメージにすぎなかった。実際両グループは前述の通り仲が良く、シングルの発売時期が重ならないよう連絡を取り合っていたという。
ビートルズをオーディションで落とし、その後ビートルズの活躍ぶりを観てあわてて第二のビートルズになるバンドを探していたデッカレコードのディック・ロウに「ローリング・ストーンズをとるべきだ」と推薦したのがジョージ・ハリスンであった。これによりストーンズはデッカからデビューする事となる。
最初こそプロモーション戦略としての”ストーンズ=不良”というイメージであったストーンズであったが、1960年代後半からそれを地でいくようになる。メンバーの度重なる麻薬所持による逮捕や裁判、1970年代半ばにはカナダの首相夫人とのゴシップなど、スキャンダルにまみれている。そのため、1973年に予定されていた来日公演は、そんなストーンズの度重なるスキャンダルによって入国拒否を受けている。まさにストーンズらしいエピソードである。

編集者 FUZZ_G (2010年 06月 5日 11:39)

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