バイオ
カリフォルニア州ロサンゼルスのUCLA映画科の学生であったモリスンとマンザレクがグループを結成する。1965年にマンザレクに出会ったモリスンは、自作の詩と歌を聴かせた。マンザレクは既に兄と共にリック・アンド・ザ・レイヴンズというバンドで活動し、一方クリーガーとデンスモアはザ・サイケデリック・レンジャースというバンドで活動中で、マンザレクは彼らとメディテーション・センターに於いて知り合いであった。モリスンの曲や詩に惹かれたマンザレクは、兄のリックとデンスモアに声をかけデモ・レコードを録音する。リックはすぐにグループを離れ、三人にクリーガーと女性ベーシストを加えたグループはロサンゼルスのロンドン・フォッグやウィスキー・ア・ゴー・ゴーなどでステージ活動を行う。
バンドはオルダス・ハックスレーが18世紀の詩人ウィリアム・ブレークの詩の一節から取った書のタイトル『知覚の扉』を元に、ドアーズという名を付けた。
もし知覚の扉が浄化されるならば、全ての物は人間にとってありのままに現れ、無限に見える。
If the doors of perception were cleansed, everything would appear to man as it truly is, infinite.
ウィスキー・ア・ゴーゴーで人気を集め始めたバンドに目をつけたプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドによってドアーズはエレクトラ・レコードと1966年に契約する。それはロスチャイルドおよびエンジニアのブルース・ボトニックとの長く成功したパートナーシップの始まりであった。10分にも及ぶ大作「ジ・エンド」を含むデビューアルバム『ザ・ドアーズ』は1967年1月にリリースされる。アルバムは数日間で収録され、ほとんどの曲は第一テイクが採用された。モリスンとマンザレクは第一弾シングル「ブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルムを監督し、それはミュージック・プロモーションの重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞がドラッグの影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high の部分を消してリリースし長らくその部分を聞くことができなかったが、後にリリースされたリマスター盤で聞くことができるようになった。
アルバムはセンセーションを引き起こし、第二弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は大きなヒットとなった。ビルボード(Billboard)誌では、1967年7月29日に週間ランキング第1位を獲得。1967年ビルボード誌年間ランキングでは第2位となった。バンドはジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと並び1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなった。モリスンはそのルックスと、身体ラインを浮き立たせる革パンツでのステージ・パフォーマンスで当時のポップ界におけるセックスシンボルの一人となったが、彼はスターとしての地位の中でフラストレーションを感じるようになった。
セカンド・アルバム『まぼろしの世界』はファースト・アルバム同様に強力な作品で、バンドの評判は強固な物となった。三作目『太陽を待ちながら』は彼らの最初のNo.1アルバムであり、同作からのシングル「ハロー、アイ・ラブ・ユー」は二枚目のアメリカでのNo.1シングルであった。
編集者 ivanovic2 (2009年 12月 15日 18:54)
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