バイオ
裏声を多用する高音のボーカルを武器に、ウィットに富んだ純度の高いポップチューンが特徴。その音楽性は、しばしばフレディ・マーキュリー、シザー・シスターズ、エルトン・ジョンらと比較される。そのスタイルからゲイではないかという憶測が生じ、本人はそれについての公言を避けてきたが、2009年9月に発売されたオランダのゲイ雑誌「ゲイ&ナイト」で「僕のことを定義づける言葉が必要なら、バイセクシュアルを使えばいい」と述べた。
なお「Mika」のカタカナ表記について、当初は「ミカ」とも表記されていたが、アルバムが正式に日本でリリースされると国内盤およびその他において「ミーカ」と統一されて表記されているので本稿もそれに従う。
レバノンのベイルートにてアメリカ人の父とレバノン人の母のもと、5人兄弟の3番目として生まれる。姉2人、妹、弟がいる。
1歳の時に戦火のため、家族はレバノンからパリへの移住を余儀なくされた。さらに、9歳の頃、父親がクウェートのアメリカ大使館に人質として監禁され、一家はイギリスの庇護を受けるためにロンドンに移住する。そのような波乱に満ちた少年期に、オペラの訓練を受け音楽に目覚める。初めての作曲は7歳の時のことで、」Angry」 というピアノ曲を作曲をしているが、本人によればこれは「ひどい」曲だったという。
ロンドンではフランス人学校に入学するが、酷いいじめに遭い、難読症にも悩まされたため(現在も難読症である)、数ヶ月母親による家庭内教育を受けつつ、いくつかの学校を転々とした。この6~7ヶ月間の家庭学習期間に、ロシア人のソプラノ歌手に歌の指導を受け始めた。大学はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学するが1日で退学し、名門音楽学校である王立音楽大学に入学した。それも中途退学すると、本格的なミュージシャンとして活動を始め、アルバムの制作にはいった。
デビュー前の活動としては、幼少時に行ったロイヤル・オペラハウスでのモーツァルト等クラシック曲のレコーディングから、航空会社ブリティッシュ・エアウェイズの機内曲、さらにチューインガムのCM曲製作まで多岐にわたっている。
かねてから学校の休暇中に渡米し、上記のような様々な音楽活動を行っていたが、2004年ごろから、主にマイアミとNYを拠点として欧米各地でライブ活動を行うようになり、カナダ人のグレッグ・ウェルズをプロデューサーに迎えてアルバムの製作に着手する。
2006年に初シングルの『リラックス(テイク・イット・イージー)』をネット上で発表すると一躍人気を集め、翌年の初めには、その年の有望新人としてBBC等で大きく取り上げられるようになった。その直後に発売された『グレース・ケリー』はイギリスのシングルチャート1位を獲得、同年2月に発売されたデビューアルバムの『ライフ・イン・カートゥン・モーション』は、イギリスをはじめヨーロッパ諸国のヒットチャートで1位を記録する大ヒットとなった。ちなみに、大ヒットシングルの「グレース・ケリー」があまりにもメディアで繰り返し流されたためか、「英国で最もウザい曲」なるランキングにおいて第5位に選ばれてしまった。(1位はジェームス・ブラントの「ユア・ビューティフル」)
モデルとしてポール・スミスの2007年春夏コレクションに登場し、渋谷駅前に特大ポスターが出現、話題となった。 アルバムジャケットのデザインを、実の姉でアーティストであるヤスミーンと共に行う。2007年7月には、ロンドンのソーホーにあるギャラリーにて姉と共同で個展を開催した。
音楽性
Mikaは、好きな音楽のジャンルが極めて広いことで知られる。よく知られているものとしてはベック、ビョーク、プリンス、セルジュ・ゲンスブール、ファイルーズ、ハリー・ニルソンなど。
5オクターブの音域と紹介されていることが多いが、本人の言によれば、3オクターブ半程度とのことである。
ライブやTV出演などでカバーした曲には、ユーリズミックスの「スウィート・ドリーム」、ジャクソン5の「アイ・ウォント・ユー・バック」、ザ・ビューの「セイム・ジーンズ」などがある。
日本との関わり
日本のアニメやフィギュア(例:鉄腕アトム)のマニアックなコレクターであることを公言しており、かなりの数のコレクションを保有、その為に自宅を改築した。また、たまごっちのコレクターであることはつとに有名である。
日本語も堪能で、インタビュー等ではJ-POPに大きな影響を受けたと述べている。また好きなJ-POPアーティストとして、椎名林檎、パフィー、菅野よう子、イエローモンキー、三味線の吉田兄弟などの名を上げている。
2007年5月に初来日。7月にはフジ・ロック・フェスティバルに出演し、その翌日に恵比寿のLIQUIDROOMでライブを行った。この際ファンからプレゼントされたたまごっち柄の手製浴衣で登場し、話題となった。またこの折、実妹とともに「ハッピー・エンディング」を披露した。
日本盤『ライフ・イン・カートゥン・モーション』:日本限定のボーナストラック「ユア・シンパシー」、「グレース・ケリー」のビデオ及び特製ステッカーなど、日本盤だけの特典がついていた。
王立音楽大学では日本人の学生と組んでおり、彼女の名前の一部から芸名を本名のMicaからMikaへ改めた。
2009年7月には、友人の宇多田ヒカルとともに秋葉原を観光した。 またライブで宇多田ヒカルを呼びともにLet It Snowを歌った。非常に仲が良い模様。
編集者 kuroisirokuma (2009年 12月 29日 11:08)
出典(URL)
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mika_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)
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