バイオ
イングランドのクイーンズカレッジで、14歳だったハンガリー人と日本人のハーフであるミキ・ベレーニ(Miki Berenyi)とエマ・アンダーソン(Emma Anderson)が知り合う。 1988年にロンドンのPolytechnic Universityで英文学を勉強していたベレーニは、そこでクリス・アクランド(Chris Acland)とスティーヴ・リッポン(Steve Rippon)、メリエル・バラム(Meriel Barham)と知り合い、アンダーソンと一緒にバンドを結成する。 アンダーソンの友人であるケヴィン・ピカリング(Kevin Pickering)がバンドをLushと命名する。 88年の3月に最初のライブを行い、プレスに好意的な評価を受けた。 しかし、当時ボーカルだったバラムが脱退してペイル・セインツ(Pale Saints)に加入し、代わりにベレーニがボーカルを取ることになる。
89年に4ADと契約して、ジョン・フライアー(Jhon Fryer)のプロデュースで6曲入りミニアルバム『Scar』をリリースする。 翌90年、コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)のロビン・ガスリー(Robin Guthrie)のプロデュースでシングル『Mad Love』をリリースし、続けてティム・フリーズ・グリーン(Tim Friese-Greene)のプロデュースで『Sweetness and Light』をリリースする。 また、これまでの3つのリリースの曲をまとめた編集盤『ガラ(Gala)』がアメリカでリリースされる。このタイトルは、画家のサルバドール・ダリの妻ガラ・エリュアールの名前から取っている。
91年にはライドと共にアメリカツアーを行う。 同年末にリッポンが小説を書くことに専念するために脱退し、代わりに元NMEの記者であるフィル・キング(Phil King)が加入する。 92年、ガスリーのプロデュースで1stアルバム『スプーキー(Spooky)』をリリースし、イギリスのアルバム・チャートで7位に入るヒットとなる。
94年、マイク・ヘッジ(Mike Hedges)のプロデュースとアラン・モウルダー(Alan Moulder)のミックスによる2ndアルバム『スプリット(Split)』をリリース。 また、同時に『Hypocrite』と『Desire Lines』の2枚のEPをリリースする。
96年、最後のアルバムとなる『ラヴライフ(Lovelife)』をリリースする。シューゲイザー的なサウンドは薄れ、当時流行していたブリットポップの影響を受けた音作りとなっており、イギリスのアルバム・チャートで8位に入っている。
同年10月、アクランドが実家で自殺し、翌97年2月に解散を発表する。
解散後、ベレーニはザ・レンタルズ (The Rentals) のアルバム『Seven More Minutes』や、コクトー・ツインズのサポートメンバーだったタテ・ミツヲのソロユニットFlat7の『Lost in Blue』にゲストとして参加している。 アンダーソンはリサ・オニール(Lisa O’Neil)とSing-Singを結成する。 キングはジーザス・アンド・メリー・チェイン(The Jesus and Mary Chain)に参加している。
編集者 noik27 (2011年 05月 7日 23:26)
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