Lionel Richie

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ライオネル・ブロックマン・リッチー・ジュニア(Lionel Brockman Richie, Jr.、1949年6月20日 - )はアメリカのシンガー、ソングライター、ミュージシャンである。ブラックミュージックの枠を超えた黒人のポップスターとして評価の高いアーティストの一人。

アラバマ州タスキーギ出身。1968年、タスキーギ大学在学中にコモドアーズを結成。同大学卒業後、オーバーン大学の大学院に学んだが、後にモータウンと契約し、ジャクソン5のバック・バンドを務める。ライオネルは、サックスを担当していた。

コモドアーズは、1974年にアルバム『マシン・ガン』でデビューする。当初は、演奏面に比重を置いたファンク・バンドであったが、やがてライオネルの甘い歌声をフィーチャーしたバラード曲「イージー」などのヒットを飛ばし、その路線を押し進めるようになる。

ライオネルは、作曲家としても数々のアーティストに曲を提供、ケニー・ロジャースの「レイディ」は、1980年に全米1位の大ヒットとなる。翌1981年には、ダイアナ・ロスとのデュエット曲「エンドレス・ラブ」も、全米1位の大ヒットを記録した。現在もデュエット・バラードの定番となっている。

1982年、ライオネルはコモドアーズを脱退し、ソロ活動を開始する。同年に「トゥルーリー」が大ヒット。翌1983年に発表したアルバム『オール・ナイト・ロング(Can’t Slow Down)』からは「オール・ナイト・ロング」、「ハロー(心の扉)」などの大ヒット曲が生まれ、ライオネルは一躍アメリカを代表するスーパースターとなった。

1985年にはマイケル・ジャクソンとの共作で、USAフォー・アフリカのチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」を作曲。居並ぶスーパースターたちの中で名誉ある歌い出しを務めた。1986年発表の『セイ・ユー、セイ・ミー(Dancing on the Ceiling)』からは「セイ・ユー、セイ・ミー」が5曲目の全米1位を獲得するが、この後ライオネルはしばらく表舞台から退いた。なお、「セイ・ユー、セイ・ミー」でアカデミー歌曲賞を受賞している。

1996年に、10年ぶりとなる復帰作を発表し、その後もマイペースでアルバムを発表しているが、ヒットはしていない。近年では、養子の娘ニコール・リッチーがテレビパーソナリティとして人気者となっており、また、離婚した元妻から請求された莫大な慰謝料と豪勢な生活ぶりが報じられるなど、音楽以外の面で話題になってしまっている。

甘く親しみやすいバラードを得意とするライオネルの作風は、「もはや黒人音楽ではない」と批判めいた評価を受けることもあった。しかし、ブラックミュージックの枠を超えた黒人のスターとして、同時期に社会現象を巻き起こしたマイケル・ジャクソンと共に、ライオネルがアメリカのポピュラー音楽界に残した功績は大きいと言えるだろう。

近年、北米よりもヨーロッパでの人気が根強く、コンサート・ツアーもヨーロッパ主体になっていた。

2006年、2年ぶりのアルバム『カミング・ホーム』がBillboard 200で初登場6位にランクインし、彼にとって初めてとなるBillboardチャート初登場TOP10入りを果たした。
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