Johnny Thunders

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ニューヨーク・ドールズ
1971年、デヴィッド・ヨハンセン(ヴォーカル)等と共にニューヨーク・ドールズを結成。ジョニーはリード・ギターを務めた。1972年には、激しいライヴや中性的なファッションが注目を集め、ルー・リードやデヴィッド・ボウイからも絶賛される。
1973年、デビュー・アルバム『ニューヨーク・ドールズ』発表。プロデューサーはトッド・ラングレン。1974年、2作目の『悪徳のジャングル』発表。後期ニューヨーク・ドールズのマネージャーは、後にセックス・ピストルズをデビューさせたマルコム・マクラーレンであった。
1975年夏、ジョニーとジェリー・ノーラン(ドラム)はニューヨーク・ドールズを脱退。このときピストルズ結成を準備していたマクラーレンからロンドンに来るよう誘われたが、断っている。

ハートブレイカーズ

ジョニーとジェリーは、元テレヴィジョンのリチャード・ヘル(ベース)やウォルター・ルー(ギター)と共にジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ(ザ・ハートブレイカーズ)を結成。ここでジョニーはリード・ヴォーカルも兼任する。間もなくリチャードが脱退し、ビリー・ラスを後任に迎える。バンドはロンドンに渡り、1977年に唯一のオリジナル・アルバム『L.A.M.F.』を発表。ピストルズと連れ立ってツアーも行っている。

ソロ活動
ハートブレイカーズ解散後、ジョニーはロンドンに留まり、1978年にソロ・デビュー作『ソー・アローン』を発表。元セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、シン・リジィのフィル・ライノット、元スモール・フェイセス~ハンブル・パイのスティーヴ・マリオット、プリテンダーズのクリッシー・ハインド等、豪華ゲストが大挙参加した。
1985年に初来日公演を行う。
1991年4月の来日公演後、4月23日、ニューオーリンズのホテルで、薬物とアルコールの過剰摂取により亡くなる。38歳。

名前の由来
ザ・キンクスのコンセプトアルバムである、『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェイション・ソサエティ』に出てくるバイク乗りが由来といわれる。

使用ギター
ニューヨーク・ドールズ時代から主にギブソン・レスポール・ジュニア・ダブルカッタウェイ(TVモデル)を使用。 オベーションのエレアコやギブソン・レスポール・スタンダードなども使用していた。
ディスコグラフィー

ハートブレイカーズ
L.A.M.F.(1977年)
L.A.M.F.Revisited(1984年) - バンド解散後の1984年に、サンダースが上記作品を自らリミックス・再編集、ジャケット・デザイン等も一新して発売した。

ソロ時代
So Alone(1978年)
In Cold Blood(1983年)
Hurt Me(1984年)- アコースティック・ギター弾き語り作品
Que Sera, Sera(1985年)
Hurt Me More(1991年)- 死の直前に行われた来日公演のライヴ盤

ジョニー・サンダース信奉者
ジョニーを崇拝するロック・ミュージシャンは実に多い。元ザ・スミスのモリッシーは、無名時代に『The New York Dolls』という小冊子を自費出版したほどのマニアである。『ソー・アローン』収録のバラード「ユー・キャント・プット・ユア・アームズ・アラウンド・ア・メモリー」は、マイケル・モンローやガンズ・アンド・ローゼズにカヴァーされた。
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