バイオグラフィー
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活動期間
1995 ~現在 (29 年間)
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メンバー
- Emmi Silvennoinen (2007 – 2016)
- Janne Parviainen (2005 ~現在)
- Jari Mäenpää (1996 – 2004)
- Jukka-Pekka Miettinen (1998 – 2004)
- Kimmo Miettinen (1995 – 1998)
ペトリ・リンドロス(ヴォーカル&ギター)
マーカス・トイヴォネン(ギター)
サミ・ヒンカ(ベース)
ヤンネ・パーヴィアイネン(ドラムス)
メイユー・エンホ(キーボード)
ラテン語で "剣を帯びたという名前の他にこのバトルメタルバンドにふさわしい名前はないだろうか。1995年にEnsiferumの首謀者でギタリストでメインソングライター、ヴォーカリストのマーカス・トイヴォネンは顔ぶれの変更による混乱と今までずっと忙しいスケジュールを経て、バンドを無事に引っ張ってきた。バンドのキャリアは2000年にSpinefarm Recordsからリリースした彼らのバンド名にちなんだデビューアルバム、"Ensiferum" から始まり、怒涛のツアーはフィンランド中で彼らの人気を不動のものにした。2枚目のアルバム"Iron"はさらに一歩前進し、Copenhagen's Sweet Silence Studiosにまで行った。2003年の秋デンマークで2枚目のアルバムをメタリカの"Master of Puppets" と "Ride the Lightning"などの名盤を手がけた有能プロデューサーのFlemming Rasmussenの手に委ねた。
"Iron"は大きな成功であり、バンドを高き位置まで成長させてくれた。このアルバムは海外でツアーすることにもつながったが、このメタリックなレコーディングとギグは2004年に3人のバンドメンバーとの決裂という犠牲を生むこととなった。ドラマーのオリヴァー・フォキン, ベーシストのユッカ・ペッカ・ミエティネンとヴォーカリストの ヤリ・マーエンパー(後にWintersunで彼の作品が知られることになる)である。これはEnsiferumとその設立者であるマーカスにとってこの世の終わりというわけではなく、いきなりの脱退の隙間を置き換えるべく、新しくて素晴らしい顔ぶれを迎えた。ベーシスト / ヴォーカリストの サミ・ヒンカ, ドラマーのヤンネ・パーヴィアイネン(Waltari と Barathrumの彼の作品でも知られる), そしてヴォーカリスト / ギタリスト ペトリ・リンドロスが加入。
新しい顔ぶれの力量は2005年のツアーで試された。メンバーはツアーが終わる新しいミニ・アルバムのレコーディングするためスタジオにすぐに向かった。このミニCDは後に"Dragonheads"と名づけられ、新たに参加したPetriのボーカルのうなりとベーシストとドラマーの馬鹿騒ぎ加減をレコーディングフォームで見ることになった。そんなにが楽しかったレコーディングはミニ・アルバムだけにとどまらずに、彼らの10年の功績を讃えてライブDVD も製作した。10周年記念ライブは新しい顔ぶれのEnsiferum "Dragonheads".リリースまでの全てのアルバムをプレイするのを見ることができる。世界中で何千と売られ、そのDVDはEnsiferumにとって新たなメンバーでも引き続き強固なバンドであるということを証明して見せた。
今年、Ensiferumは彼らの3枚目のフルレングズアルバム制作のためHelsinkis Sonic Pump StudiosにプロデューサーのNino Laurenne(Thunderstone, Finntroll).とともに入った。そして彼らの作ったアルバムと言ったら!フィンランドのカンテレ、バグパイプ、ニッケルハルパやボランといった伝統的な楽器がメタリックギターと融合し"Victory songs"のサウンドはフォークとヘビー、バトルがバランス良く混ざった国歌的な力強さがPetriのうなるようなボーカルとマーカス・トイヴォネンとサミ・ヒンカのコーラスのハーモニーによって完璧になる。2007年を代表するメタルアルバムの呼び声高い彼らの不滅の強さと力を語っている Victory Songsに耳をすませ。
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