Dinosaur Jr.

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Dinosaur Jrは1983年、マサチューセッツ州アムハーストにて、Deep Woundというハードコア・パンクバンドをやっていたJ Mascis(G/Vo)と、ハイスクールのクラスメートだったLou Barlow(B)により結成され、その後すぐに、Murph (Emmet Patrick Murphy/Dr)がメンバーに加わった。

 Country Joe and The Fish、Jeffeson Airplaneの元メンバーのバンドがThe Dinosaurと名乗っており、法に抵触する可能性があったため、デビューアルバムである『Dinasour』(1985年)を発表後すぐに、バンド名を変えている(少なくとも1987年までは、Dinosaurの名前を使っていた。その証拠に、『Your’ re Living All Over Me』のいくつかのコピーには」Jr」の文字が欠けている)。

 1987年、彼らはSonic YouthからのすすめでSST Recordsと契約、彼らのベスト作とされている『Your’ re Living All Over Me』をリリースした。次の年には『Bug』を発表する。イギリスで『Bug』は、Sonic YouthやBig Black、Butthole SurfersらのレーベルであったPaul SmithのBlast First Recordsからリリースされた。この時期、彼らは大音量のライブをやるバンドとして知られるようになった。

 大きな商業的な成功はなかったものの、カルト的な熱狂を獲得していた。『Freak Scene』と『Just Like Heaven』の成功は、Sonic YouthやNirvanaと仲がよかったことも相まって、結果的にWarner Brothersとの契約に結びつくことになった。彼らの曲はギターノイズに包まれ、メロディックで構成も単純であったため、同時代のPixiesとともに、その後に登場してくるNirvanaに大きな影響を与えている。

 Mascisがステージ上でBarlowを殴ったこともあるといい、MascisとBarlowの緊張が高まった1989年に、ついにBarlowがバンドを脱退する。彼はその後、Sebadohで作品を作り続けた。結果的にDinasour Jr.という名前はMascisの別名とほとんど変わらなくなってしまった。その後、イギリスではBlanco y Negroに、アメリカではWarner/Sireにレーベルを変え、このレーベルから最初にリリースされた作品が『Green Mind』だった。

 Barlowがバンドを去った後、Screaming TreesのVan ConnerやTeam DreschのDonna Dreschが1990年のライブで一度だけベースを弾いたこともあった。
 1991年、Mike JohnsonがフルタイムのベースプレイヤーとしてDinasour Jr.に参加し、『Whatever’s Cool With Me』(1991年発表)、『Where You Been』(1993年発表)、『Without A Sound』(1994年発表)、『Hand It Over』(1997年発表)の制作にそれぞれ加わっている。

 ドラマーのMurphはロラパルーザツアー終了後の1993年終わりにバンドを脱退する。

 この後、Geroge Berzがドラムとして1994年から97年まで参加し、『Without A Sound』と『Hand It Over』の制作に参加した。また彼は、後のJ Mascis & The Fog名義のバンドにも参加している。
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