バイオ
リック・ニールセンとトム・ピーターソンは、Fuseというバンドのメンバーとして1969年にメジャー・デビューするが、商業的成功には恵まれず、一時はフィラデルフィアに拠点を移す。その後、リックとトムはイリノイ州に戻り、バン・E・カルロスやランディ・ホーガンと共にチープ・トリックを結成。しかし、ランディは間もなく脱退し、後任としてロビン・ザンダーが加入してラインナップが固まる。
1977年、デビュー・アルバム『チープ・トリック』発表。しかし、本国アメリカでは成功せず、その後2枚のアルバムもヒットしなかったが、日本では人気が高まっていき、1978年4月には、初の日本公演を行う。その時の模様を収録したライヴ・アルバム『チープ・トリックat武道館』(1978年)は、当初は日本限定企画だったが、本国アメリカで日本からの輸入盤が売れ出したため、1979年に本国でもリリースされ、バンドにとって初の全米トップ10入り(最高4位)を果たした。
1980年、ロビン以外の3人は、ジョン・レノン「アイム・ルージング・ユー」のレコーディング・セッションに参加。チープ・トリックが参加したヴァージョンは、ジョンのアルバム『ダブル・ファンタジー』には収録されず、後にボックス・セット『ジョン・レノン・アンソロジー』で発表される。同年発表のアルバム『オール・シュック・アップ』は、ビートルズとの仕事で知られるジョージ・マーティンがプロデュースを担当。しかし、同作を最後にトムが脱退。バンドはピート・コミタを迎えてツアーを行い、その後ピートに代わってジョン・ブラントが加入。トッド・ラングレンがプロデュースを担当した『ネクスト・ポジション・プリーズ』(1983年)等の意欲作を発表するが、セールス的には落ち込んでいった。1986年には、映画『トップガン』のサウンドトラックに「Mighty Wings」を提供。
1987年、トムがバンドに復帰。翌年には、アルバム『永遠の愛の炎』が全米16位のヒットとなり、同作からのシングル「The Flame」は、バンドにとって初の全米1位シングルとなった[1]。
その後、バンドはワーナー・ブラザーズ・レコードに移籍し、テッド・テンプルマンのプロデュースによる『蒼い衝動』(1994年)を発表するが、同作は商業的には成功せず、バンドはほどなくワーナー・ブラザーズを離れる。以後、バンドはライヴ中心の活動に移行し、サブ・ポップからシングル「Baby Talk」をリリースした後は、Red AntやBig3といったインディーズ・レーベルから作品を発表。
編集者 [削除されたユーザー] (2009年 06月 12日 20:35)
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