バイオ
概要
イプスイッチ美術学校とウィンチェスター美術学校に在籍しそこで美術を学習する傍ら、電子楽器や音声理論に関心を抱き、結局、音楽の方面に傾倒することとなる。学校にまだ在籍していた1970年代よりアマチュアグループで音楽活動を開始し、アンディ・マッケイの誘いによりロキシー・ミュージック(Roxy Music)に加入した。そのグループではシンセサイザー奏者としてその特異なファッションや音楽スタイルで注目された(加入期間は1971年1月-1973年7月、『ロキシー・ミュージック』と『フォー・ユア・プレジャー』の二枚のアルバムに参加した)。
ロキシー・ミュージックを去った後は、「Here Come The Warm Jets」(1974年)、「Taking Tiger Mountain (by strategy)」(1974年)と独特なロックアルバムを出した後、前衛的な現代音楽、ニューエイジ的な作風を採用するようになる。後の「Another Green World」(1975年)、「Ambient 1 / Music for Airports」(1978年)に至っては、グラム・ロック的な派手さが影を潜め、それに換わって前衛音楽の影響やアンビエント的作風が強く見られる。
そのソロ活動と平行して、ロキシー・ミュージックのギタリストであるフィル・マンザネラ、旧西ドイツで活動していたクラスターのメンバーなどと作品を制作してマニアックなサウンドを求めていた当時のロック・シーンに大きな影響を与えた。特に知られるところではデヴィッド・ボウイのアルバムである「ベルリン三部作」(『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』)の制作に参加したことが挙げられる。また、キング・クリムゾンのギタリストであるロバート・フリップとの交友も深く、何枚かのインストルメンタル的なアルバムを共作している。また、アンビエント音楽の世界ではハロルド・バッドやジョン・ハッセル、ダニエル・ラノワ等の才能を次々と発掘して、非ロックな音楽に対してもおおいに貢献してきた。
その後も同傾向の作品を発表し続けながら、80年代のロックの新たな動きにも関心を持ち、デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2などのアルバムにもプロデュースや演奏などで参加、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンのコンピレーションアルバム「No New York」をプロデュースするなど、その後のアーティストやシーンに影響を与える。その他にも、視覚芸術のインスタレーション作品などにも積極的にも参画している。
日本のアーティストとの関わりとしては、YMOのライブアルバム「コンプリート・サーヴィス」のリミックスを担当したことが挙げられる。
エピソード
日本でもパソコンブームの火付け役となった、あのマイクロソフト社のオペレーティングシステム、「Windows 95」の起動音「The Microsoft Sound」は彼の作曲によるものである。「The Microsoft Sound.wav」のプロパティには彼の名が記されている。一般にはあまり知られていないが、世界中の多くの人々が知らず知らずのうちに彼の作品を鑑賞していたということになる。
編集者 takaem (2008年 04月 11日 23:13)
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