バイオ
ヒッピームーブメントに影響を受けた両親(ちなみに両親は彼女が1歳の時に離婚している。母の再婚相手はギタリスト)のもと、幼少の頃、地元の音楽学校に通いフルートを学ぶ。1977年に12歳でアルバム「Björk」でデビュー。アイスランド国内で爆発的な人気を得る。 しかし彼女自身はカバーばかりで自分の曲が1曲しか入っていないこのアルバムに満足していない発言を後に残している。
更にアーティストたるもの、新しいものを創造することが使命であり過去の作品を演奏する事の多いアカデミックな音楽教育に疑問を持つ発言をしており(しかし数十年後、この頃の仲間たちはhomogenicでストリングスを担当してくれているのだが)、その後アイスランドに訪れたパンクの波に影響され 13歳でタッピティカラスなどのパンクバンドを結成。ドラムを担当する。
1984年、アヴァンギャルドなハードコアジャズパンクバンド」Kukl」を結成。このバンドの楽曲は今聞いても相当に革新的な特徴を持っている。 1986年にギターポップバンド」The Sugarcubes」(ザ・シュガーキューブス)を結成。英語で発表した曲はアイスランドのみならず英語圏でも注目を集める人気インディバンドとなる。
The Sugarcubes解散後、1993年にソロアルバムをリリース。ハウスを取り入れた先鋭的かつポップなサウンド、天真爛漫で自由奔放なボーカルが注目を集め、世界的にヒットした。
彼女の黒髪と神秘的な顔立ちは、アイスランド人にしばしば顕れる形質で、何故アイスランド人に東洋的とも思われる子どもが生まれるのか人類学的には謎の一つとされている現象である。ちなみに彼女は若いころ、日本人に似ていると周囲に指摘された経験から、三島由紀夫などの日本文学を読んでいたという。
また彼女は、幼少時に観た日本映画「鬼婆」に形容しようのない印象を受け、日本に強い興味を抱いていたという。日本の写真家・荒木経惟とコラボレーションを行ったことがある。(雑誌SWITCH2003年10月号掲載)
2000年、ミュージカル映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に主演。カンヌ国際映画祭の最優秀女優賞を受賞した。日本では2001年の正月映画として公開されヒットした。
2004年に行われたアテネオリンピックの開会式で「Oceania」を歌った。
2005年7月2日はDREAMS COME TRUE、Do As Infinityなども参加した幕張メッセのLIVE 8 Japanコンサートでライヴ・パフォーマンスを披露した。LIVE 8はG8八カ国同日に行われたイベントであり、世界貧困撲滅キャンペーンの一つである。
同年、ビョークは日本についての映画「拘束のドローイング9」への出演とサウンドトラック創作に打ち込んでいた。同作を製作したアーティストのマシュー・バーニーは現在のパートナーである。
編集者 bambidambo (2007年 12月 8日 01:10)
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